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詩集評一覧

ここには人間社とタイアップした詩集企画「人間社✕草原詩社」で2015年以降に刊行した詩書に関する書評・論考等を紹介しています

​(下線クリックでPDFファイルが開きます)

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●山村由紀『呼』

 

詩集評(編集部/杉本真維子/ヤリタミサコ/小川三郎/秋吉里実/藤井五月/荒木時彦)

『記憶の鳥』『風を刈る人』『青の棕櫚』 と時期を追うごとに深まりを見せる著者の〈非在の存在〉へ愛。言葉で見えない世界を描き出すことが、きわめて自然な形で成されているこの詩集はこれまでになく散文詩も多い。詩が表面的な感覚ではなく、強い世界把握力によって書かれるべき時代に来ていることを象徴する1冊である。この詩集を読まずして、令和以降の詩を語ることは全くの無意味である。寡作の詩人が丹精込めて作り上げた必読の19篇。

あとがきで山村自身はかつて日本の家庭電話が個人宅には少なく、住所録などに(呼)という印がついていたこと、また彼女自身の住所録に長くその印が付いていたことなどに触れ、「呼」の文字自体への親和性を記している。その上で次のように書いている。「呼んでいる。呼ばれている。実際に会うことがなくても、人は人を呼び、人に呼ばれている。この世を去った人にも、見知らぬ人にも。(あとがき最終段落)」中国語の「叫び」とはまた別の意味で、詩集の内容に即したタイトルであると感じている。筆者もまたこの詩集に「呼」ばれこの詩集を「呼」んだ者の一人なのだと今改めて確信するに至った。(論考「失われた存在への眼差しと共存」より 鄒乃馨)

 

 

 

●春野たんぽぽ『赤い表札』

詩集評(あかねゆかこ/畑章夫/恭仁涼子/まるらおこ/ちんすこうりな)


死への誘惑と戦いながら作品を紡ぎ出す新しい世代の新しい著者、春野たんぽぽが満を持して放つ第1詩集。叫ぶのではなく敢えて感情を抑え、故郷への愛憎と都会生活者の悲哀を
冷静に綴った完成度の高い詩集。「漂流エロ」というユニークな同人雑誌を店じまいさせ、新しいステージへと突入する分岐点を成す記念碑的作品。脚本やエッセイも身軽にこなす著者の原点がここに存在する。都会に生きる淋しい読者の心をきっと揺さぶることだろう。

今回の第一詩集「赤い表札」を読んでもわかる。すでに以前の彼女はいない。現在の等身大の彼女の素直さが詰まったこの詩集は、彼女がまわりの意見を素直に聞いて、自分の個性を大事にし、きちんと前を向いているということを感じた。彼女が家族や出身地のことを作品に入れていたこともそのひとつと思う。自分のルーツを認め、作品に書く。思い出とは良いものより辛いものの方が残っているものだと私は思う。地面に落ちた表札の目となり鼻となり耳となり、自分を客観視する。大好きだったおじいちゃん、家族への反抗、自分が求めているものは何か。私イコールたんぽぽちゃんとは思わないが、自分の居場所を探して自分を活字に残す姿を作品から読みとれば、彼女の踏み出す一歩に拍手をしたくなる。(荒川純子 同詩集栞より)


●木澤豊『燃える街/羊のいる場所』

詩集評(川鍋さく/木谷登志子/にしもとめぐみ/浜田裕子/福田知子/前田珈乱/マダムきゃりこ)

大阪文学学校に長く関わり、指導者としてまた宮沢賢治の研究者として多くの人々から慕われてきた著者の最新詩集。静かな思いと燃えるような情熱が交錯する不思議な世界。「場所」というものへの執拗な主題を保ちつつも、ベテランにしてなおかつここから新たに切り拓かれる世界。その柔らかでちょっと切ない世界に触れるとヤミツキになる。到達点を極めてなおエネルギッシュに活躍する著者の10冊目の詩集。弊社では他に『幻歌』もある。

第1部「いまから書かれる海」は、海の見える街を舞台にした、強いイメージを持つ詩を集めた。そこで木澤らしい男は海色のノートを買って海について書き始める。それは彼自身が船で海に乗り出すことに他ならない。そして岬をとおり打越橋から上陸し、ガードが延々と続くまるで昭和のような街を夕暮れになるまで歩き続ける。なるほど、僕自身「海」のイメージの作品を集めた訳だから、木澤の考える章名の方がよりストレートに編集意図を現わしていると言えるだろう。編集者として著者に糺された思いだ。
 第Ⅱ部「羊のいる場所」では、一転、「ひつじ」に典型的に現れる、やわらかなイメージの作品を配置した。ここでは「海に乗り出す」というような気負いもなく、男は「散歩」を続ける。ガード下に住んでいることに違いはないが、ナマズを引きずって歩いたり夢町という幻のような名前が町にあったりする。ほたるの光なのか、それとも魂なのか、「やわらかくまるいもの」が手に足先に触れる。男はやがて浜に、戻ってゆく。(巻末解説 平居謙 より)

 

 

 


●畑章夫『猫的平和』

詩集評(秋吉里実/荒川純子/角野裕美/河上政也/タニグチイジー/水本育宏)


2020年4月刊行。定価イデオロギーに固まった社会詩でもなく、偏狭な視線によってなされた生活詩でもない。地に足をつけた「生活思想詩」の成果がここにある。

・畑章夫は、豊かさのむこうにある事実を、見て見ぬふりをしてはならない現実を、見続ける。畑
 章夫は、多くの犠牲と絶望のうえに手に入れたものが、どのようなものでなければならないか、
 真の平和、真の幸福とはなにか、を問いつづける。(「草原通信2」より 松本衆司)
・この詩集は畑さんらしくない鋭さがある。けれども畑さんらしい柔らかさもある。詩を読み進め
 てゆくと目を背けたくなるような現実を捉え、生きることとは何か、なぜ私は生きているのか、
 という疑問を突きつけられ、いきものの命や身近にある歴史からヒントを得ながら核心を探るこ
 とができる詩に出会うことができる。(同 しじみ)
・日常生活を営む中で、私たちはどうしても日々起こることをどれも当たり前と考えるようにな
ってしまう。更に日々のペースの速さ、変化の速さについていくことに精一杯になって、今行っ
ていること、起きていることに関心を払わなくなっていく。そんな中で畑さんの作品は生活を丁
寧に描くことで生活そのものをもう一度ちゃんと見るようにさせてくれる。(「月刊 新次元35号」タニグチイジー)

 


●川鍋さく詩集『湖畔のリリー』


詩集評 前半(加瀬健一/清野雅巳/関根悠介) 後半(高菜汁粉/にゃんしー/湯原昌泰)

2020年4月刊行。静かに湖畔に佇む生。あくまで詩の原点を一途に見据えた川鍋さく待望の第1詩集。読み進めると、純粋なイメージに加えて、悪戯っぽいまなざしや、トンデモ発想なども見えてきて、神様さえも困ってしまうこと間違いなしの、必読の書。

・優れた詩の多くがそうであるように、川鍋さくの詩はストーリーに頼ることがない。ストーリー
 が描かれているにせよそれは、単なる枠組みに過ぎない。難しい言葉は使われていないのに読ん
 でいて途惑うことも珍しくない。独特の感覚が滲み出ていて、それ自体が詩を形成している。そ
 の感覚に馴染んでゆくことが彼女の詩を読むという行為である。(同書解説より 平居謙)
・彼女のポエジーの真骨頂は、単にそれら情緒的なファクターに導かれる作品ではない。どこかユーモ
 ラスで、とるに足らない存在を介し、彼女のコトバは自由に弾むように息づいているではないか。
                              (「草原通信 1」より 福田知子)
・等身大の身体感覚のなかに、それをはるかに凌駕する自然や宇宙といった途方もない存在を、何
 の躊躇もなくインストールする。いかに仮想現実的なイメージであっても、まるで実写のように
 振る舞わせて、読む者を強烈に引き込んでいく。それを可能にするのは、まさに川鍋自身による 「引力」だ。

                              (「月刊 新次元 」35号より 加勢健一)

●平居謙『燃える樹々(JUJU)』 


詩集評(今鹿仙/うみほたる/小川三郎/折口立仁/草間小鳥子/しじみ/湯原昌泰/るう子)

2019年6月刊行。『太陽のエレジー』から7年。詩は魂の在処を探る方法。失われた魂への鎮魂と新しい世界創出のための第7詩集。謎と抒情が雑居する。解説に細見和之。栞に佐藤義雄・毛利憲一・ヤリタミサコ・岩佐純子。

・一九八〇年代に学生時代を過ごした私たちは、〈詩の黄金時代〉の記憶のなかで詩を書きはじめた。
 そこには同時に、そこから自分たちは放逐されているという感覚が必然的にともなっていた。私
 の場合は一九七〇年前後の詩の記憶が大きかったが、平居の場合は、萩原恭次郎が活躍していた
 大正時代後半から昭和初期にかけての時代の記憶も大きかったかもしれない。
                                 (細見和之同書解説より)
・謙の詩は、いつもリズミカルで心地よい。ことばは奔放に発展し、そっち行く?と私を驚かせて
 くれる。(同書栞より 岩佐純子)
・著者はきっと見えない自然を感じている。それは人工的なものではなくて、きわめ て自然らしい
 自然。この詩に登場する植物、動物、蟲、火、風 ・・・。人間の自己中心 的な視覚では辿り着
 けない表現が、全く自然な切り口で広げられている。「月刊 新次元」25号 2019年6月30日 しじみ)

●前田珈乱『風おどる』


詩集評(まるらおこ/宮坂新/マルコム・シャバスキー/タニグチイジー/岡村智昭/友尾真魚/岩村美保子/畑章夫/平居謙)

2019年5月刊。令和の時代がやって来た。新時代初日に刊行された記念すべき詩集。中国哲学研究者である著者の、底知れぬ語彙と若さとがミックスされた新しい時代の新しい視覚詩がここに誕生した。凝縮と拡散の妙を体験せよ!


・彼のいう「宇宙」は空の果てにあるし自分の体内にもあるし珈琲のなかにもあり、それは優劣を
 つけるものではないのだ。(同書栞より 山村由紀)
・詩とは何かについての個人的定義から始まるこの詩集は、端正な言葉づかいに終始しながら、倫
 理性と刹那性と唯美性を入り混じらせつつ、最初から最後まで一本の筋の通った一冊になってい
 る。(同書栞より 湊圭史)
・この詩集では、風は物理的に吹く風という意味のほかに、その時 代の社会の潮流という意味や、
 生き物に生命力を与えるものという意味や、運命を 左右する物事の流れという意味なども有して
 いて、重要なモチーフとなっている。 また、『風おどる』というタイトルには、愛と勇気を持っ
 てどんな時代の風の中で も軽やかに踊っていたいという願いや、自らの詩集で旋風を起こしたい
 という願い がこめられていると思われる。
              (「月刊 新次元24号」2019年5月より マルコムシャバスキー)

●まるらおこ『つかのまの童話』


詩集評(折口立仁/タニグチイジー/荒川純子/岩村美保子/大木潤子/ちんすこうりな/友尾真魚/田中ルーシー/平居謙)

2018年⒓月刊。死という重い主題に向き合った作品を随所にちりばめながらも、軽いユーモア感が読後に残る不思議。「つかのまの童話」の如く、日常から飛び出した一瞬の夢を見せてくれる作品群。からりと揚がったサクサク感と、満足のボリューム!


・霧のように、あるいは虹のように、ふと現れて消えてしまう「束の間の童話」。それこそが 詩で
 なくて何だろう。「詩」とはそれほどに、捉えがたいものなのだ。 詩集『つかのまの童話』は、
 日常生活の中にふと現れた空隙、破れ目から立ち上る「詩」を つかみ取り、言葉に結晶させよう
 とする。(大木潤子)
・この詩集を読み終えて、孤独を強く感じることと、自分と自分以外の存在とのかかわりを愛 おし
 く思うことは同じなのだと、あらためて気づかされました。そしてまた励まされた気持ち になり
 ました。 (折口立仁)
・本来、日常のごく そばにあるはずの“死”は遠くでもなく近くでもないわたしたちのそばにある
 のだと気づかせて くれる。(岩村美保子)


●ちんすこうりな『女の子のためのセックス』
 

詩集評(平居謙/ヤリタミサコ/小川三郎/馬野ミキ/泉由良/蛇口/さくら/秋吉里実/荒木時彦/南原魚人/海老名絢/ねまる/春野たんぽぽ/)

2017年8月刊。爽快なセックス宣言ともいえる第1詩集『青空オナニー』から8年。驚くほど成長した身体思想詩人・ちんすこうりなが満を持して放つ第2詩集。ほんとうの淋しさがここには存在する。刊行されるや否や、賛否両論の渦が巻いた話題作。

 

・自分は普段、詩集をまったく読まないし詩集についてこういうふうに書くことはないがちんす
こうりなのこの詩集には俺のなかでそれだけの価値があったのだろう。このブログを読むよう
な俺のことが好きな方は是非買って読んで欲しい。(ブログ「ハローワークの再起」2017年7月31日 馬野ミキ)
・死と生、性と生、分割とまじわり、これらが螺旋状に連なって時間が流れていく。作 者は、生   
の重さを持て余しつつ、諦念ではない冷静さを持つ女の子たちの、おそらく は、自分や他者へ
向かう怒りと紙一重の何かを捕まえているようだ。攻撃ではなく愛の 姿に近いが受容ではなく、 
私には、苛立ちや姿の見えない怒りに近いように感じられ る。怒りの向けどころがなくて絶望
しないために、自分で自分を抱きしめるための詩集 なのかもしれない。(新次元2号 2017年7月 ヤリタミサコ)
・少女の「軽やかさ」と引き換えにちんすこうりなが身に着けたもの。それは「得体の知れな
い自由思想」だった。(「詩客」2017年3月5日 平居謙)

●岡村知昭句集『然るべく』
 

 詩集評(わたなべじゅんこ/湊圭史/関根悠介/南原魚人/吉田マサカズ/矢板進)(『LyricJungle22号』より抜粋)

2016年11月刊。詩誌「Lyric Jungle」でおなじみのナンセンス系の詩とは一線を画す本格派俳人の誕生! 俳句を若くから始め、現在詩創作研究会にも足しげく通った努力の人岡村知昭の、待ちに待った第1句集。著者のシブイ近影も話題を呼んだ。

同書栞より抜粋 
 ・その句柄は、平易な言葉を用ゐての、斬新で意表を突くもので、毎回楽しみにさせて頂いてお
ります。その特徴は、風景やものや人を見る目線が低く、しかもペーソスが有ることでせうか。
自己撞着に陥る事なく、対象物も自己もさらりと捕らへる手腕は、特筆に値ひするでせう。(中島夜汽車)                                             
 ・痛覚。五感のうち、君の言語感覚は痛覚をイメージさせる。その感覚の細い水脈を通して幻想
世界へとトリップする。痛みを纏った風景はより繊細で敏感な触手を書き手にもたらし、ズー
ムアップされた事物を、よりビビッドにあたたかく包み込む。(佐孝石画)

●秋吉里実『悲しみの姿勢』

詩集評(ヤリタミサコ/タニグチイジー/まるらおこ/前田珈乱/ちんすこうりな)(『LyricJungle22号』より抜粋)

2016年7月刊。ユーモラスに彩られた悲しみが満載。しなやかで真摯な言葉の選択。楽しく読み進めてゆくうちに、自分自身のまわりにある悲しみにも気がついてくる。そしてそれが愛おしくなる。地に足つけた生活詩の極北。絶賛の第1詩集。

同書栞より抜粋 
・その詩は、光と影の相互作用により奥行きのある意味合いを生み出し、思索を誘うシリアス(厳
 粛)な表情を浮かべている。(村岡眞澄 詩人・彼方社社主)  
・そうして生まれた多層的な「かなしみ」はただ涙を流すだけでなく、日常の淡々とした風景の中  
 で子供への愛情や男への挑発やユーモアにまで変化していく。(山村由紀 詩誌「詩杜」編集人)
・里実ちゃんは班日記が回ってくるのを楽しみに待っている様子でした。いつでも書くことに困ら
 ない、小さな事にも思いをめぐらせ、そのまま文章に書くことが出来たからです。                                                       
                          (清水小枝子 著者の小学校時代の恩師)

 


●荒川純子『Viva Mother Viva Wife』
 

詩集評(小川三郎/ちんすこうりな/中田洋子/岩村美保子/編集部)(『LyricJungle21号』より抜粋)

2016年2月刊行。『デパガの位置』(歴程新鋭賞)で注目された荒川純子が13年の時を経て放つ。家族と仕事。夫と子供。結婚とは。詩を書くこととは。誰もが避けて通ることの出来ない問題を真摯に激しく描き切る、すべての綺麗ごとを排したリアルな詩集。

同書栞より抜粋 
荒川純子は与えられている。開かれている。あてがわれている。時に、切断されている。MOTHERとWIFEという仮面を外すとき。荒川の詩はよく思考され、よく感覚されている。制御され、拡散され。…(略)…いつの日か、荒川純子のヌードを見たいと思う。MOTHERでもなくWIFEでもなく一個の詩としての、なめらかな白く柔らかいことだまを。ことの葉を。茂り。光が黒い服を脱ぐ。乳房と恥丘が見える。(長澤忍)

​2015~2021.2
Abstract Painting
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